君は古賀及子さんを知っているか

 

いま私が最も面白いと思っているもの、関心を寄せていることは何かと考えた時、それは紛れもなくデイリーポータルZ編集部・古賀及子さんのすばらしさである。

 

 

「古賀さんの書かれる記事が好きだな」と最初に思ったのは確かこの時だ。

参照していた記事は2013年4月に投稿された『いまこそキャベツとレタスを間違えよう』である。

 

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まずこの誘い文句の、なんと魅惑的なことか。

お子さんに深く寄り添って生活される中で、ご自身も自らの幼き頃に思いを馳せ

久しぶりにキャベツとレタスを間違えたいな、ふとそう思ったのだ。

 という書き出しへと繋がっていく。

 

この記事を読んでいなければ、きっともう一生キャベツとレタスを間違えることなんて無かっただろう。

しかし、古賀さんに手招きされて、私の中に今までなかった欲望がむくむくと湧き上がってくるのを感じた。

 

ついさっきまでは「ああ、キャベツだね」「ふーん、レタスか」というくらいの温度でしかなかった私が、あの手この手を使ってぎりぎり見間違えようとするトライアンドエラーの繰り返しをわくわくしながら見守り、そして最後には小さくガッツポーズしてしまうほど記事に没入していた。

今読み返してもそのみずみずしさ(レタスだけに)にうっとりしてしまう。

 

そしてここから私はコンスタントに約週1のペースで、古賀さんがいかにすばらしいかを、ワールドワイドウェブのあらぬ方向にむけて語り続けているのである。

 

 

しかし、スバラシースバラシーと連呼するだけではだめなのだ。

一体古賀及子さんのどこが人を惹きつけるのか。

勿論そんな要素の組み合わせに還元しえない魅力があることは承知しているし、これ冒頭からずっと思ってたけど、エラそ~に「君は知っているか」など書きつくっておきながら私は古賀さんにお会いしたこともなくお話したことなどあるわけもない。

ただ、ライターとしての古賀さんがいかにすばらしい存在であるかを、私の知る範囲で、まだ古賀さんの魅力に打ちひしがれていない方々のために取っつきやすくお送りしようという試みである。

この文章で少しでも気になった方がいたら、私の紹介した記事だけでもポチッと開いてみて頂けると嬉しい。

前置きが長くなったが、スパスパやっていくので許してください。

 

1.リアクションの豊かさ

 

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ご自身でも強みだとおっしゃっていた記憶があるが、古賀さんのリアクションの大きさは、他のライターの方の記事に同行者や試食担当として出演される時にその威力を発揮する。

特にべつやくれいさんのこの記事『二木の菓子に行くと興奮してしまう』は、LINEで人に送りつけまくった上、そこから友人と上野で遊ぶ時は必ず二木の菓子に寄ることにしているほどのお気に入り記事だ。

 

まず、べつやくさんの挿絵があり得ないほど古賀さんそっくりなのだ。

 

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『二木の菓子に行くと興奮してしまう』より

 

この大きい目と口が古賀さんの表情のゆたかさを作り出している。

では次に、実際のご本人の姿を見てほしい。

こんなに人が嬉しい気持ちになっていることが伝わる写真があるだろうか!

 

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『二木の菓子に行くと興奮してしまう』より

 

見ているこちらまで幸せになってしまうほどの笑顔っぷり。

すっかり二木の菓子好きになってしまった私には、この写真の中から「ニキニキニキニキ二木の菓子! 菓子菓子お菓子!」という半狂乱のテンアゲソング(※店内BGM)が聴こえてくるようにさえ感じられる。

なお、この記事には二木の菓子入店前・入店後のツーショットが載せられているのだが、その表情のダイナミックな変化が本当に素晴らしいので、是非記事そのものも読んでみて頂きたい。

 

以前はリアクションの大きさが役立つのは動画だけと思っていたが、それは違った。

 瞬発的な表情のきらめきを捉えることができれば、むしろ写真の方が雄弁に、被写体の新鮮な心のうごきを写し取ることができるのではないか。

 

 

もちろん古賀さんのリアクションの素晴らしさは写真さえも軽々と越えていく。

 

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大北栄人さんはゲストのいる記事で、あえて本文をつくらず、実際その場で行われたであろう対話形式で構成していかれることがある。

上に挙げた記事にはデイリーポータルZライターの方々が参加されており、ただ会話しているだけでこんなにフラットに新たな視点が飛び出してしまうのかと戦々恐々するのでおすすめ。

それはそうと、私が注目してほしいのは、大北さんの文章がいかにリアクションを丁寧に写し取っているか、という部分である。

 

石川:きれいな字、フォントのようなものはあんまりなにも思わないですよね
西村:“きれい”とか“美人”とかは特徴がなくなってくることらしいですよね。だからアニメの美少女はみんな同じ顔になるって
古賀:バン!
大北:古賀さんすいません、今日はガッテンボタン用意してないんですよ
古賀:バン! バン!

 

単に擬音語を多く使えばいいというものでもない。

「バン!」だけだったなら、怒って机を叩いている人か、それとも銃の打ち合いごっこの最中か読者には分からない。

その後の回収っぷりが100万点なのだ。

 

というか「古賀さんすいません」で90万点である。

この一言で、古賀さんがいかに嬉々としてガッテンボタンを押そうとしていたかありありとが脳裏に浮かんでくる。

もちろん大北さんの言葉選びの巧みさがこの情景を輝かせていることは言うまでもない。

 

そして、ないと宣告されたにも関わらず古賀さんは水を得た魚のように「バン! バン!」と無邪気に机を連打し、大北さんを置いて走り去っていくのである。

 

大北さんと古賀さんはすこし波長の近い部分があって(後述します)、それゆえ古賀さんのリアクションに大北さんが同調し、さらに増幅させていけるような無敵の感覚がある。

なるほど、と思ったところで「バン!」と机を叩く古賀さんの無垢さと豊かさに対して、大北さんがきっちりフォローを入れることで、その場にいない読者にも古賀さんがどんな表情で、どんな勢いで机を叩いたかが手に取るように伝わってくるのだ。

 

デイリーポータルZには動画投稿もあるが、基本的に「ライター」、つまり文章と挿入画像で情報を伝えなければいけない勝負の場において、古賀さんのリアクションの雄弁さは、古賀さん自身の、そして周囲のライターの方々にとっても切り札となっているのではないだろうか。

 

2.変えがたく大人であること

これまでの部分で古賀さんがいかにピュアな感性をもっているかは十分伝わっているであろう(そう信じたい)。

しかし、それと同時に彼女が紛れもなく大人であることは変わらない真実である。

冒頭に挙げた記事『いまこそキャベツとレタスを間違えよう』の序文をもう一度読み返して頂ければ、古賀さんがあくまで大人として一歩引いた目線で子どもたちを観察しながらも、あえてその世界に飛び込んでいくという流れを汲み取っていただけるのではないかと思う。

その立ち位置は、古賀さんのnoteおよび個人ブログ「まばたきをする体」からも窺い知れる。(恐らく同じ記事が更新されています!)

 

古賀及子(こがちかこ)|note

mabatakiwosurukarada.hatenablog.com

 

常に彼女のまなざしは温かくも、どこか遠いところから生活を見返していて、その中の小さな事象をすくい上げては慈しんでいるようである。

文章の書き方がそうであるからそう見えるだけかもしれないが、どこか彼女自身の在り方に通ずるものがあるように感じるのだ。

古賀さんは、彼女自身の「おもしろがる力」に加えて、子どもたちと同じ目線でありながら時折彼らをすっと俯瞰してみせることで、みずみずしい観点を持ち続けることができているのではないかと思う。

 

 

ちなみに、逆のパターンもある。

 

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これは先程も登場したライターの大北栄人さんと古賀さんが一時期結成していた「ばか丁寧な暮らし」というユニットの、きっかけになったと思しき記事である。

 

ライタープロフィール :: ばか丁寧な暮らし(大北栄人/古賀及子) の記事いちらん :: ばか丁寧な暮らし(大北栄人/古賀及子) の記事いちらん :: デイリーポータルZ


「丁寧な暮らし」というのはネット用語で、物凄く雑に説明すると無印良品のカタログに出てきそうな家族、あるいはInstagramにテーブルクロスを敷いて綺麗に盛り付けた料理や、白い壁の前に置かれた一輪挿しの花瓶の写真を投稿しているような人たちのことを指す。

とにかく雑に生き繋いでいるこちらとしては、生活の些事にまで気を配れる余裕に憧れつつも、同時にケッと思ってしまう部分は否めない。

 

そんな中でこの「ばか丁寧な暮らし」だ。

プロフィール写真も、2人の爽やかな笑顔とは裏腹に、その間に捧げ持たれている電子レンジがなんともいえず面白い。

やっていることも「普段電子レンジでチンしないものをチンしてみる」なので、確かに日常に手間をかけているという意味では丁寧と言えなくもないが、たぶん、これは、「丁寧な暮らし」ではない。

なんというか、すごくいい距離を保ちながらちょっぴりおちょくっているような感じが丁度いいのである。

 

 

古賀さんクラスタには説明するまでもないが、彼女はかなりのせっかちなので、普段は電子レンジで数分温める手間も惜しんで冷めたままものを食べてしまうことも多い。

(参考:湿気たお菓子もふやけた麺も!これはこれでうまいサミット :: デイリーポータルZ

 そんなたちなので、元々レンジにかける必要のないものまでチンしてやろうという企画『レンジでチンするとうまいもの』冒頭では、古賀さんをレンジにかけた方がいいくらい冷めに冷めていた。

 

古賀:レンジであたためるのはTwitterでちょいちょい流行るよね

 

実験開始前の古賀さんの発言はこれしか採用されていないのだが、この一文からでも十二分に冷めっぷりが伝わってくる。これは8割興味のない人が言うやつだ。

しかし、一発目にチーズとチータラをレンジにかけ始めると、古賀さんの姿勢が変わり始める。

 

(3分後)
大北:これ、この状態。バキバキでしょ。
古賀:あ、すごい、すごい! これは知らない。はー。ほー。んー。なにこれー。ふーん。あ、これはあっためるべきだね(笑)ごめん悪いこと言った。

 

この自らの誤りを素直に認められる部分もまた古賀さんに見習うべき点である。

そして終盤、ハッピーターンをチンした時にはもうこの顔になっている。

 

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『レンジでチンするとうまいもの』より

 

丁寧な暮らしややたらとレンジでチンするレシピに対して一歩引いた立場を取りながらも、面白いと感じたら前のめりに突っ込んでいくことができる。

ただ純粋であるのではなく、いわゆる大人の冷静さのようなものも持ち合わせていて、その間を自由に行き来することができる。

これが2つ目に皆様に伝えたい古賀さんの魅力である。

 

3.「常識」を超える感性

 このタイトルにする前は「まったく新しい感性」と書いていて、それはなんか有識者に突っ込まれそうだなと思ってやめた。

しかし、突っ込まれてもいいと思えるくらい、この記事を読む度に何度でも新鮮な感動をおぼえずにはいられないのだ。

 

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 内容を簡単に説明すると、集まった5人のライターの方々が、用意された20種類の「パンかケーキかあいまい」なものたちをまずそれぞれの感性に従ってパンとケーキに分類してみる。

 次に、実食して相談しながら、全員のコンセンサスの取れたパンとケーキの境界線を探していくという構成になっている。

 

他のライターの方が「クリームが乗っている」「パンにはないふわふわ感」「ケーキ屋さんで売っている」など、スクロールしながら頷ける基準でケーキを選び出していく中、古賀さんだけは違った。

 

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『楽しい「パンかケーキか会議」』より

 

20種類すべてをケーキに分類したのだ。

まず、「パンかケーキに分類してください」と言われた時、多くの人は何らかの基準を自分の中に見出してなんとか2つに分けてみせようとするだろう。

古賀さんは分けなかった。甘みのあるパンはすべてケーキなのだという。

これは裏を返せば、たとえ自分の感覚を信じて分類しなかったとしてもきちんと受け止めてもらえるような、デイリーポータルZの受け皿の広さを表している部分もあるかもしれない。

 

パンもケーキもケーキである。
なぜならパンもケーキも甘いしおいしい。
ここにある何を食べても普段とは違う、特別な時間を過ごすことができる。
だから全部ケーキである。

 

何を食べても特別な時間を過ごすことができる、という一文にはっとさせられる。

我々はあまいパンでさえも平凡な毎日の一部として無為に消費してきはしなかったか。

パンひとつ、食パン1枚の中に格別なうれしさを込められたあの子ども時代を忘れてしまったのだろうか。

 日常を噛み締めるような、そんな小さな幸せに気づかせてくれる、パンかケーキかを考えているだけでまさかそんな展開に至るとは。

 

 しかも、古賀さんの進撃はこれに留まらない。

 

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『楽しい「パンかケーキか会議」』より

 古賀さんの中で食パンは、全てを見通せる位置に立体的に位置しているらしい。食パンはまだ材料で、フルーツサンドやハニトーになる可能性を秘めているからである。

 

 なんとグラフは3次元になり、食パンはz軸上の存在となった。

これはもはや、感動というほかない。

机上で行われていた議論が突如として立体になったのである。

 

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

(常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである)

これは天才物理学者アルベルト・アインシュタインの遺した名言だ。

我々は2つに分けろと言われたら分けなきゃいけないとか、机の上に置いたものは置いたままで動かそうかなとか、そういうよく分からない「常識的行動」に囚われて生きている。

しかし、これらは、「そうした方が無難にやり過ごせることが多い」というだけで、必ずしも必要不可欠なものではきっとない。

毒ガエルは食べちゃいけない、調味料は飲んじゃいけない、そういったしがらみから人々を解き放つのがデイリーポータルZの記事のかずかずではないだろうか。

偏見に固執することなく、なんでこうしちゃいけないんだっけ? と既存の枠組を満面の笑みで破壊していく、その姿に私は途方もなく憧れているのである。

 

なお、ここで「常識」と書いたものはあくまで私にとっての常識なので、皆様に共感頂けるかはわからない。

私と少し違った枠組みを持っているだけで、古賀さんの中にもしがらみとの戦いがあり、そこに打ち勝てない場面もあるのかもしれない。

 私自身もまた、日々常識を疑う姿勢を忘れずに生きていくことを改めて誓った。

 

 

以上の3点が、私がビギナーの皆様に教えたい、ライター古賀及子さんの素晴らしさである。

それと同時に、すべて読んで頂けた方にはお分かりのことと思うが、古賀さんご自身が書かれている記事と他のライターの方が書かれた記事を実は同じくらい参照している。

なぜなら、私はデイリーポータルZの面白い記事を読み終わるや否や、下部に表示される関連記事から面白そうなタイトルを探して飛ぶという完璧な永久機関を構築しているからだ。

 

 最も思い入れのある古賀さんについて僭越ながら書かせて頂いたが、他にも好きなライターの方が沢山いらっしゃるのは言うまでもないし、文章力と想像の翼を広げてスマホの前から我々を連れ去ってしまうような記事が宝の山のように積まれている。

毎日何本も更新されていくのだから、全部読み切って追いつくまでにどれほどの時間がかかることだろう。

皆さんも、外出自粛のこの期間中に、私の途方もない積読にお付き合いいただけないだろうか。